個人山行 飯豊山の山行について(100名山達成)

年月日 :2023年9月23日(月)~24日(火)
山名  :飯豊山(2,105m)
山域  :飯豊連峰
メンバー:TI

令和6年9月22日(日)                                              

13:10自宅→名古屋IC→岡谷JCT→上越JCT→新潟中央JCT→20:00御沢野営場 571km、ETC11,300円

令和6年9月23日(月)                                                      

 5:33御沢野営場(544m)→7:49横峰(1,334m)→9:27三国小屋(1,644m)9:49→11:13切合小屋(1,744m)

令和6年9月23日(月)                                                      

5:40切合小屋→6:07草履塚→7:15本山小屋(2,102m)→7:29飯豊山(2,105m)7:50→7:59本山小屋→9:09切合小屋9:31→10:42三国小屋10:57→12:03横峰→13:23御沢登山口       

      距離21.7km 累積登り2,200m                                           

      13:50駐車場→14:10「いいでのゆ」15:30日帰り温泉→新潟中央JCT→上越JCT→岡谷JCT→21:50自宅    


飯豊山だけは最後にしないよう今まで2回計画し、駐車場または近くまで行きましたが、体調や天気から延び延びとなり今回ようやく実現できました。

最初は2年前、一週間かけて大朝日岳・飯豊山・平ケ岳・皇海山と今思えば狂った計画でした。大朝日岳登山後大日杉登山口駐車場で翌日に備えましたが、大朝日岳の日帰りは7時間運転後5時間の睡眠後暑さもありアップアップ状態で嗚咽がひどく翌日の朝飯でも嗚咽で無理と判断し止めました。その後3時間かけて鳥海山まで行って登りましたが暑さと大きな岩だらけで、また、嗚咽で50分登ってストップし2日間で名古屋に戻りました。

昨年も計画しました。やはり暑さと片道11kmの日帰り最難関平ケ岳、嗚咽の中アップアップの状態で下山し飯豊山登山口まで1時間足らずのところで宿泊しましたが、翌日は雨が降りしきっていたため、月山へ向かいました。当時切合小屋は水が枯れ、4ℓ以上持って登らなかったので、多分晴れていても途中挫折だったと思います。

幌尻山荘で他の登山者から飯豊山の山行は大変で、幌尻岳以上と複数からアドバイスいただきました。

今年も監査が入り、一人で監査準備で体がなまります。できるだけ早く行きたかったのですが、第一週、二週、三週と天気が優れず、結局23日出勤を代わってもらい、翌日もお休みもらって行ってきました。

天気が少し変わってきて、一日目は午後から雨模様に、したがって、切合小屋止まりで、二日目に山頂をピストンし、そのまま下山して名古屋に戻る時間は遅くなっても十分行けると思いました。

車中泊4時前に起きて出発を待っていました。熊との遭遇を避け先頭者を待っていましたが明るくなる時間も遅くなり誰もいかないため、結局出発は5時40分となってしまいました。この時空は一部青空も見えたので一日持つかな、と期待していました。

横峰までの標高差約800m、通称長坂は結構な急登でしたが2時間足らずで到着。順調です。しかし、そこから間もなく雨が降り出し、本降りとなってしまい、レインウェアを身にまといました。途端、一気にペースが落ち、決定的なのは三国小屋(福島、山形、新潟の県境)手前の難所約300mに渡る剣ヶ峰です。雨もあり、とてもとても怖かったです。両方切り立っており、鎖、ロープは3箇所のみ。よく、こんなところのロープは必要と?いうところありますが、逆にもう少しあっても良いのでは、と思うほどです。また、不幸にも道を間違え余分に労力を使ってしまい、三国小屋でヘトヘト状態に。休憩していると続々登って見え、皆さん怖かったと口を揃えてました。そこからは、アップダウンを繰り返しながら何とか切合小屋に到着。

時間的には飯豊本山のピストンは可能でしたが、雨はやむ気配はなく、真っ白で、靴の中が濡れていたので翌日に変更し、着ていたものは全部干しましたが、全く乾きませんでした。到着した面々は明日に備えて小屋で休みます。直前に大日杉小屋から登ってきたアベックは、それでも飯豊本山迄ピストンしましたが、お話しを聞いていると懐かしく(方言)感じました。聞くところ、福井県旧丸岡町の隣町旧坂井町の方で直線距離では5kmとのことで世の中はとても狭いな、と感じました。宿泊する殆どの皆さんは生米3合持参し、1,000円お代を引いてもらっていましたが、私は、出来るだけ軽くしたく用意しませんでした。小屋名物のカレーライスを2杯食べて翌日に備えます。それぞれ2.5人分のスペースを確保頂き優柔自適でしたが、隣の方は怪獣で、いびきが凄くて、皆さん寝れません。途中で突っついて横にしようと思ったくらいで、全然眠れませんでした。

 

翌朝は嘘のように晴れ渡り、360度雲海で囲まれ、ご来光前に卵ご飯を頂き、山頂に出発。先ず目に飛び込んできたのが大日ケ岳、この景色が飯豊はいいでぇ~の由来となっていると思ったほどとても心が現れます。ちょっとした坂を登ると草履塚、ここからようやく飯豊本山が見えます。一見頂上に見えるのが、飯豊神社や避難小屋のある頂で、左におひとやかに鎮座しています。草履塚から一旦降りると婆ノ前、拝んで最後の難所御前坂が目の前にそそり立っています。登り切り避難小屋では、小屋番と昨日から大きな荷物を背負って、ペースは速いけど小屋毎にビールを飲んでいた地元の若者が雑談していました。そこから山頂までは延長上に大日ケ岳を見ながら楽園の散歩道で、ご褒美です。頂上では、大朝日岳、鳥海山、蔵王、吾妻山、安達太良、磐梯山が雲海から頂を出し、西側には、尾瀬の山々が連なっています。北側には、山形市内が見渡せましたが東側の米沢市は雲海の下でしたが、最終の100座目を一番良い景色で飾ることができました。やったぁ~、でした。

 

切合小屋に戻り補食し、小屋の方々に挨拶して下山です。そうそう、手伝いに来ていたお兄さん、どこかで聞いた凄いなまり。5月か6月にNHKの100名山放映で飯豊山のガイドしていた方でした。また、親方はとてもやさしく人懐っこくまた来たくなります。

下山は下山で大変で、アップダウンが続き、特に三国小屋までのあたりはしんどくて大変でした。そして、続いて剣ヶ峰と一息する間もありませんでした。下山は苦にならないタイプですが、さすがに足が諤々となり体は正直です。下山後は、いいでのゆでゆっくり浸かっておそばを堪能して、岡谷ジャンクションでの渋滞もありましたが7時間かけてノンストップで戻ったのでした。

 

最後に、56歳から始めた登山、最初は定年までに北、中央及び南アルプスの100名山30座を目標にしましたが、晩秋でも関東あたりや九州の山々に登れ、足を延ばしたため40、50座と増えていき、いつか目標は100に変わっていました。

元々、外反母趾が酷く、多汗症で低体温のリスクが高く、また、59歳くらいに変な菌をもらってしまい、皆さんと比べてリスクが高いのに自分でもびっくりです。でも最近は、ひどくスローになり、来れてよいのだと言い聞かせております。100座の軌跡としては次のとおりです。

以前観光のついで又は家族で登った山(その時は100名山と全く意識していませんでした):八幡平、蔵王山、草津白根山、乗鞍岳、御嶽山、美ヶ原、霧ヶ峰、立山、白山、伊吹山、阿蘇山  11座

 

2017年度(56歳): 恵那山、空木岳、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、八ケ岳、荒島岳、焼岳、蓼科山 8座

2018年(57歳):鳳凰三山、常念岳、白馬岳、鷲羽岳、水晶岳、五竜岳、塩見岳、大峰山8座

2019年度(58歳): 大台ヶ原、木曽駒ヶ岳、光岳、聖岳、北岳、間ノ岳、鹿島槍ヶ岳、薬師岳、黒部五郎岳、笠ヶ岳、荒川岳、赤石岳、甲武信ヶ岳、金峰山、瑞牆山、天城山、雲取山、両神山、丹沢山、大菩薩嶺  20座

2020年度(59歳):雨飾山、高妻山、四阿山、剱岳、槍ヶ岳、火打山、赤城山、武尊山、剣山、石鎚山、霧島山、開聞岳  12座

2021年度(60歳):苗場山、巻機山、浅間山、谷川岳、穂高岳、越後駒ヶ岳、大山 7座

2022年度(61歳): 大朝日岳、安達太良山、吾妻山、磐梯山、妙高山、九重山、祖母山、日光白根山、男体山、那須岳、筑波山  11座

2023年度(62歳): 至仏山、会津駒ヶ岳、燧ヶ岳、皇海山、利尻山、羅臼岳、斜里岳、雌阿寒岳、羊蹄山、富士山、平ヶ岳、月山、鳥海山、岩木山、八甲田山、岩手山、宮之浦岳17座

2024年度(63歳): 早池峰山、幌尻岳、大雪山、トムラウシ山、十勝岳、飯豊山  6座