個人山行 虎御前山~小谷山縦走報告

年月日 :2021/11/6(土)
山名  :虎御前山、小谷山
山域  :滋賀県の山
メンバー:T(L)、D(SL)、F、F、M、M、M、S、一般:T

  コースタイム

JR名古屋7:02====JR米原7:30====JR虎姫8:44

虎姫駅8:50ーー南登山口9:10ーー矢合神社9:20ーー虎御前山10:10ーー北登山口10:40ーー資料館11:00ーー追手道登山口11:20ー-小谷城跡11:50ーー小谷山13:30ーー北登山口14:25ーー河毛駅15:00

戦国歴史で有名な「虎御前山~小谷山」へ行ってきました。

まず、JR虎姫駅に着くと、「虎姫の由来」の看板が。「むかし、長尾山のふもとに虎御前という美女がいて道に迷って助けられたのが縁で、結婚して、15人の子どもをもうけますが、生まれてきたのは子蛇でした。虎御前は嘆き悲しみ女性ヶ淵(みせがふち)に身を投げてしまいます。その後、子どもたちは立派に育ち成人する頃には、人間と同じ容姿になり近辺の村を治めることになるのです。このころから長尾山を虎御前姫にちなんで虎御前山と呼びようになり、町の名「虎姫」もこれに由来しています。」とあり、実際、行ってみたら、古墳もあり、どうも戦国時代以前の古くからの山のようです。

虎御前もなにも死ぬことはなく、子供たちの成長を見守ればよかったんでは・・と悲しい思いです。

登山口は矢合神社。登山の無事を祈って、先に進むと広場と人工物(展望台)があり、とりあえず、登ってみました。展望台からは、田んぼアート(終わっていて残念)が見え、その先には伊吹山を見ることができました。そこから古墳群を横に見ながらNTTの鉄塔にむけての舗装道路が続きます。舗装道路が終わるとハイキングコースになり、いよいよ織田信長軍の陣営跡です。堀切(外敵の侵入を防止したり遅らせたりする為、人工的に尾根を削って堀(崖や行き止まり)を作ったとのこと)跡があったり、勉強になります。そして、頂上へ。頂上は、木々があり、あまり展望はききませんが、下は田んぼばかりで戦国時代も似たような景色を見ながら小谷城と対峙していたのではとタイムスリップした気分でした。

虎御前山を下山し、つぎは小谷山です。その前に、トイレ休憩と歴史を学ぶため小谷城戦国歴史資料館へ。資料館は小谷山のふもとにあり、振り返った目の前には虎御前山が。離れているような近いような感じですが、歩いて10分くらいですので、この距離で織田陣営と浅井陣営が対峙していたんだと思うとやっぱり近いです。資料館で人物関係をもう少し学びたかったのですが、トイレを済ませ地図をゲットして小谷城へいざ出陣です。

小谷城は、岐阜城や苗木城と違い、小谷山の尾根全体の地形を活用した山城でした。ところどころに〇〇丸という跡があり、また、〇〇丸と〇〇丸との間に人工の堀切がある立派な山城です。さすが、戦国時代屈指の山城と言われ、日本五大山城の一つに数えられる国指定史跡だと思いました。でも、残念なことに欧州の砦のように岩や石でできていないため、石垣が本丸のところに残っているだけで当時の壮大さがピンときませんでした。でも、歩いても歩いてもつぎからつぎに〇〇丸がでてきて当時の大きさが偲ばれました。

大嶽城跡(おおずくじょうあと)が山頂でした。1573年織田軍との小谷城攻防戦において、家臣だった浅見対馬守の寝返りで落ち、浅井長政がいる本丸が上からと下からと挟み撃ちとなり、もたないと判断して自害したとのことでした。

資料館での浅井3姉妹の解説のとおり、女性は政治の道具として利用され、また、男性は戦場にかりだされた戦国時代の山城を巡った山行でしたが、平和な今の時代に生きて山に登れることに感謝した1日でした。

また、名古屋に帰ってきて久しぶりに懇親会。コロナ禍もいっとき忘れることができ、そういった面からも良い1日でした。 ( 記:SA )

虎姫駅